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TC(治療共同体)に参加して

 

私は30代後半ぐらいから、仕事や家族、健康などあらゆる問題が浮上し始め、それらに向き合わざるを得ない状況になりました。自分の抱える「生きづらさ」を身近な家族や友人に話しても、「問題解決のアドバイス」や「説教」「励まし」になってしまい、こちらが心理的に求めている「聴き方」とは程遠く、結果、「だれもわかってくれない。話さなければよかった。」と自分の殻に閉じこもり、孤独感を深めていきました。

 

解決策を求めて、様々な本を読んだり、講座を受けたりした中で、唯一、自分を救えたと実感できたことがあります。それは、「自分のネガティブな感情を認めて、そのまま受け入れる」ということでした。これを心がけると、他者のネガティブな感情に触れても、巻き込まれることがなく、その人が感じているそのままを受容することができるようになり、とても楽になりました。

 

こうした経験から、私は「コミュニケーションの在り方」と「感情の扱い方」が幸せな人生を生きる上でとても重要だと考えていました。

ちょうどそのころ、友人から声をかけてもらったイベントで、引土先生の講座を受ける機会に恵まれ、私が求めていたものの答えがここにあると直感し「エンパワメントグループ」に参加いたしました。

 

最初の数回は緊張して、トピックを出してくださった方の話も十分に聞けませんでしたし、正直、「ズーム環境でどうやって、安心安全の場だと思えるのだろう?」とも感じていました。

しかし、回数を重ねるごとに顔見知りが増えたこと、ワークの約束事(裁かない、意見を押し付けない、など)を毎回説明していただいこと、そしてなにより、メンバーの方々が、どんな状態の私であっても、しっかりと耳を傾け、受け容れてくださっている、と感じられたことで、徐々に「ここは安全な場所」という認識が私の中に自然に生まれました。

 

 

トピック提供者として参加したときは、グループの特徴である質問やフィードバックにより、私自身が人生を左右するような大きな気づきを得られ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

参加者の立場は様々であっても、誰もが懸命に生きている、という点において等しく、素晴らしい存在であることを、エンパワメントグループは教えてくれました。純粋なつながりの心地よさを感じつつ、皆さんの在り方から今多くを学ばせていただいています。

 

そして、一見、普通に暮らしている人であっても、一人一人が抱える悩み、苦しみを、適切な形で聞いてもらえる機会自体、実際にはほとんどないのではないか、と思われます。

この活動が私たちの中に潜む偏見を乗り越えて広がり、日本のあちこちで健全なかかわりが育まれ、その在り方がスタンダードになり、誰にとっても居心地の良い社会となることを心から願っています。

 

2023.1.22 N.O

 

エンパワメント・グループとは

安全な枠組みがあり、問いかけるときに大切なこと、裁かないこと、意見を押し付けないことなど、グループのメンバーたちが技法上のコツを身につけ分かち合うにつれて、自分自身も質問の内容や質などレパートリーも増えていく。トピックを出す人だけがグループの恩恵を受けるわけではなく、グループのメンバー一人一人が気づき、成長する機会が、その一瞬一瞬に秘められているのである。

 

私たちは自分自身の問題のことを、独特のものであり、あたかも自分だけが「悪い」とか「恥ずべき」だとか、自分だけがダメな人間であるかのように思い込みがちである。他の人々の問題や課題の話を聞くことで、しばしばこうした誤信を正すことができる。私は変わっているわけでも、気狂いじみているわけでもない。

 

「多くの人がそんなふうなのだ」という実感は、エネルギーを解放させる。

 

グループの目指すものは、ものごとの解決ではないが、フィードバックによる自分が相手から真の注意が払われているという感覚は、依存症によって受けたダメージを劇的に改善させる時もある。トピックを出した人だけではなく、相手に真の注意を払っている自分自身にも相手から注意を払われていると直観的に感じられる。問題自体が解決したわけではないけれども、そこには、グループのつながりがあり、受容された感覚は、問題を受け入れ、感情の解決に向かわせるものである。

 

エンパワメント・グループに出会って11年が過ぎ、コロナという人と人との繋がりをウィルスによって分断されているこの状況だからこそ、各ダルクでエンパワメント・グループを取り入れている施設では、大きな助けになるものだと思う。自分自身もクリーンでいられるのも、グループを通して経験した、一つ一つの出来事が体の中に、心の中に刻み込まれているからだと思う。

 

12年前に奈良の施設にたどり着いた時、絶望でいっぱいだった。生きづらさを抱えながら、また薬やアルコールを使わない生活を送るのは苦痛でしかない。それが自分自身の欠点だと気づいていたとしても、コミュニケーションの基礎がない自分には、そこにいていい場所があったとしても、自分から居場所を作ることができない。集団が苦手であるし、人間が嫌いである。自分でもめんどくさい奴だと思う(笑)。

 

そんな自分に与えられた役割は犬の世話をすること。おりゅうとデン君には自分が世話になったと思う。寝るときは、枕元にデン君、足元にはおりゅうがいつもいてくれた。布団の半分以上はおりゅうに取られてしまうが、それが心地よかったのを思い出す。 

 

 

少しずつ役割を通して、自分の居場所ができたように感じたときに、引土さんに、エンパワメントグループに出会うことができた。多分、奈良にたどり着いたばかりの時だったら、エンパワメントグループは受け入れなかったと思う(笑)。「こんなのやってられねぇ」と反発したことだろう。心の準備ができていたからこそ、ミーティングとは違うものにトライしたのだと思う。

 

いろんなダルクに行ってきたが、奈良で最初にエンパワメントグループをプログラムに取り入れ実践できたのは、よかったことだと思う。ミーティングでは感じられなかった、繋がりや一体感をエンパワメントグループでは感じることができた。奈良にたどり着いた時、プログラムにつながって12年が過ぎていた。

 

クリーンが続かない「ダメな奴」だと自分ではそんなふうにしか自分を評価するしかなかった。でもグループを通して、自分の何かかが変わっていったのだと思う。

 

自分がトピックを出し、グループをやった時、小さなグループだったが、一つの出来事にみんなが涙してくれた。その時、生きてていいんだと、自分は愛される存在でいていいのだと、心の底から感じることができた。愛される存在なんだと感じられたことは、自分にとってとても大きな変容をもたらしたと思う。

 

その流れは、東京に帰ったとしても、ゆっくりと止まることなく流れていった。東京で引土さんとの再会があり、川崎や八王子、藤岡などのダルクがエンパワメントグループを実践し、今日に至っている。沖縄や栃木もどういう形になっていくかは分からないが、それぞれのダルクがエンパワメントグループを発展させていくものだと思う。

 

自分と八王子ダルクのたかしがグループを通して、以前とは違う関係になれたように、誰もが愛される存在なんだと感じることのできるグループができることを願っている。

 

 

たとえスリップしたとしても、そういう経験があれば、生きる方向を見ることができるのではないだろうか?薬をやめても生きづらいと死を選んでしまう仲間を助けることが出来るのではないだろうか?

 

ホームページが立ち上がり、研究会の名称が変更していくことも、これも発展していく過程であり、それだけ多くの人たちに関心を持ってもらえたということなんだと思う。立ち止まっているように見えたとしても、11年前からこの流れは続いている。オンラインという新しい流れもあり、自分はその波に乗る気はないが(笑)、いろんな人たちがいろんな形で、エンパワメントグループを発展させていくことを願っている。


自分にとってグループは、一つの道具です。それもスピリチュアルな珍しい道具です。お金もかかりません。交通費はかかるかもしれませんが(笑)、興味のある方は、一度参加してみてください。

 

2021.3.28   あきよし